Deepikaのサフラン色のビキニ(インド政治入門)

Deepikaのサフランビキニと「Besharam Rang」:jingoismのための遼東之豕な誤読

ビデオ中にDeepika Padukoneは5種類の衣装で登場し、サフラン色のビキニは20秒足らずの登場ですが、ビデオが絶対に意図していないのはサフランを「(白ではないけど)遼東之豕な色(shameless colour)」と呼ぶことです。

「Besharam Rang」よりのスチル写真

FLIX OPINION  2022年12月19日月曜日 – 17:00

著者:Lakshmi Priya Follow @lakshmibindu95

https://www.thenewsminute.com/article/deepika-s-saffron-bikini-and-besharam-rang-shameless-misreading-jingoism-171092

最近公開されたミュージックビデオ「Besharam Rang」はShah Rukh Khanの新作映画『Pathaan』からだが、ある問題について一つのコンセンサスを得てもいい頃だろう。彼女は確かに豪華なグローバルアイコンで「ずた袋(gunny sack)」さえドレスとして難なく着こなすかもしれないが、 Deepika Padukoneはファッション・エチケットの基本を理解していないように思える。彼女のオレンジ/サフランのビキニに騒ぐ右翼、政治家、そして一般のおじさんたちを誰が責めることができるだろうか?ファッションの黄金律とは、何事にも時と場合があるというのもので、オレンジ/サフランは特定の人が特定の機会にのみ身につけるべき色なのである。

よく知らない方のために、いつ、どこでサフラン(または類似の色)が許されるのかを簡単に説明しよう。まず、あなたはひょっとして、ヒンドゥー教又は仏教の聖者で、悟りを求めて、盲目的な愛国主義(Jingoism)の喧噪を離れて、ガンガーの穏やかな川辺や冠雪したヒマラヤの山々で瞑想しているのでしょうか?謹んで申し上げますが、誰でもサフランがあなたの色であると知っています、あなた自身も。 

それでも時々、あなたはこの色を身につけることが許されるかもしれません、もしあなたが犯罪事件(爆弾テロや性的暴行など)において告発され、少数民族に対する暴力を扇動するよう、公式に扇情的な発言しようと決意したならば。もしそうなら、どうぞ、その色で身を包み独善的に意見すればよろしい。サフランを守ろうという人たち(save-the-saffron brigade)は、反対側を向くだろうけど。 

あるいは別の機会で、単に頻繁な切符のいらない列車の旅を求めて、サフランの衣がもたらす無限の可能性にたどり着いたのかもしれません。当然ながら、これもまた、全てをオレンジにする自称守護者たちの動機にはなりそうもない。もちろん、サフランのふんどし一丁で皆の前で体操しているヨガの達人はフリーパスを受けて当然だ。

しかし、何があっても、普通のミュージックビデオのどうでもいい最後の1分もない時間に、サフラン色のビキニで、大胆に美しく見せようとはしないものだ。聞いていますか、Deepika?

鼻を切ったり、腹を蹴ったり

BJP(Bharatiya Janata Party党)下院議員のSadhvi Pragyaは、この国で最も有名なサフラン色の着用者の一人で、Deepikaのビキニを深い攻撃性を感じた多くの人々の一人です。曰くサフランカラーへの侮辱は許されないと主張し、当BJP下院議員は最近ヒンディー語で「彼らの腹を蹴り(不快な思いをさせる)、彼らのビジネスを破壊し、彼らの映画を一切見るな。腹に蹴りを入れれば、すぐにこの国から逃げ出すだろう」と呼びかけた。彼女はまたPathaanの製作者に、問題のシーンが削除されなければ悲惨な結果を招くと警告した。

Pragyaの脅迫は、マディヤ・プラデーシュ州の内務大臣Narottamがこの曲に関して彼の怒りをあらわにした直後にやってきたのですが、彼は映画製作者にこのシーンのディーピカの衣装を変えろ、州内で上映禁止されたくなければ、と脅した。「この曲で使われている衣装は議論の余地がある。この曲が腐敗した精神状態で撮影されたことは明らかだ」と主張し、「JNU事件」(*) の「tukde tukde gang」(*) の味方をしているボリウッド俳優を非難した。

Deepikaは、実際のところ、自分の映画の監督の決断で受ける悪質な攻撃に不慣れなわけではない。3年近く前にJNUを10分間訪問し、覆面をしたチンピラに殴られた学生たちと無言の連帯をしたことは、彼女には何の助けにもならなかった。

この事件の前にも、Sanjay Leela Bhansali監督の時代劇『Padmaavat』において「事実の歪曲」の疑いをめぐる論争があり、過激派グループ(Shri Rajput Karni Sena)による彼女への暴力的な脅迫があった。もしSadhvi Pragyaの最近の「腹を蹴る」という脅迫が比喩的なものであったとすれば、当時のShri Rajput Karni Senaからの脅迫は極めて文字どおりのものだった。『ラーマーヤナ』を引用して、Karni Senaのメンバーの1人は、この俳優の鼻を切り落とすと脅した。彼女の首には賞金までかけられていた。

この俳優はそれ以来、この失われた愛を取り戻そうと、いくつかの無駄な試みを行ってきた。今年5月の第75回カンヌ国際映画祭で、彼女はある連邦大臣(彼がある人々に「desh ke gaddar」(国家の裏切り者)と叫んだ発言で有名)の隣に座り、現在の(BJPの下の)インドは「偉大さの頂点にある」と主張した。その努力は明らかに実を結んでいない。なにせ自分と同じ自称文化保護者たちがイスラム教徒であることを理由に引きずり降ろそうとしてきたスーパースターと共演することになったのですから。

  • Tukde Tukde Gangは「国を分割したいギャング」の意で、BJP の指導者や政党寄りのニュース チャンネルでは、異なる政治的見解を持つ政敵を非難するために、相手に「扇動し、分離主義を支持している」とレッテルを貼り、「何かを小さな断片に壊したり、切断したりすること」の意味の軽蔑的な言い方のTukde Tukdeを当てる。
  • 2016年2月9日に、Jawaharlal Nehru University (JNU) で2001年のインド国会襲撃事件の犯人Afzal Guru及びカシミール分離主義者Maqbool Bhatに下された死刑に反対する抗議行動がキャンパス内で繰り広げられた(JNU事件)。以後、BJPや右翼系メディアはJNUの学生をTukde Tukde Gangと呼んでいる。
  • 2020年1月5日、Jawaharlal Nehru University (JNU) で学生や教師が学費値上げに反対していたところ、キャンパスに覆面をした男たちが乱入し学生や教師に暴力をふるい、JNUの警備員や管理棟の周りに配置されたデリー警察は無言のまま傍観していた事件があった。デリー警察が周囲にいたのに、覆面をした男たちはキャンパスを出て行方は分からなくなった。翌日Deepika PadukoneはJNUの反対運動に合流し学生を支持したところ、BJPはJNUの学生らを Tukde Tukde Gang と揶揄した。

ジンゴイズム(盲目的な愛国主義)とミソジニー(女性蔑視)の合体

最も表面的なレベルでは、「Besharam Rang」に対する騒動は、この曲の歌詞に対する誤った(あるいは意図的にねじ曲げた)理解から生じています。「Besharam」と「rang」はどちらもヒンディー語でよく使われるウルドゥー語で、それぞれ「遼東之豕(恥知らず)」「色」と訳される。曲中のフレーズ「Besharam rang kahan dekha duniya walon ne」は、ざっくり訳すと「世界は私の本当の色を見ていない」という意味になる。ディーピカーが5種類の衣装で登場したビデオでは、オレンジ/サフランのビキニは20秒足らずの登場だが、絶対に意図していないのは「サフラン」を「遼東之豕の色」(*)と呼ぶことであろう。 

  • * 遼東之豕(故事、りょうとうの-いのこ)
    狭い世界で育ち、他の世界を知らないため、自分だけすぐれていると思い込んで、得意になっていること。ひとりよがり。厚顔無恥。恥知らず。昔、中国遼東地方の人が、飼っている豚が白い頭の豚を生んだのを大変珍しく思い、これを天子に献上しようと河東(山西省)まで行ったところ、豚の群れに出会い、それがみな白い頭の豚だったので、自分の無知を恥じて帰ったという故事から。

しかし明らかに、この曲に対する反発は、単なる歌詞の意図的な誤読、イスラム教徒のスーパースターの存在、あるいはサフラン色にまつわるヒンズー教の宗教的意味合いだけではない。それは臆面もない女性蔑視でもある。ジンゴイズムは伝統的な社会構造とジェンダー化されたヒエラルキーの上に成り立っており、主体性(agency)を行使し自分のセクシュアリティを自由に表現する成功した女性とこの曲が合致する可視性は、明らかにこの枠組みの中にうまく収まらない。

実際、「Besharam Rang」に不快感を抱いた人々のかなりの部分は、サフラン色が含まれていることよりも、この曲の官能的な性質に関心を寄せています。その中には、動画から俳優をズームアップしたスクリーンショットを多数アップロードし、”数ドルのために、どんな夫がこの妻の公開猥褻を許し寛容になるというんだ?”とつぶやいた退職IPS士官もいた。その後Twitterによって削除されたこのツイートは、明らかにDeepikaの実生活でのパートナーである俳優Ranveer Singhに向けられたもので、元士官は夫こそ彼女のキャリア判断に責任があると信じているようだ。

最大の皮肉は、Ranveer自身がつい最近、雑誌のヌード写真撮影の件で大反発を受け、「女性の感情を傷つけた」として警察の犯罪認知文書(FIR, First Information Report、警察組織が犯罪の実行に関する情報を受け取ったときに作成する文書)に登録されたばかりだったことです。サバルナ(savarna, 4大カーストのいずれかに属する人々)の異性愛者の男性がこのような騒動の矢面に立たされるのは前代未聞だが、驚くにはあたらない。その特権的な経歴や非政治的な立場にもかかわらず、Ranveerのボリウッドヒーローとしての位置づけは、ファッションセンスや妻への臆面もない賛辞など、外見上こそ行動のヘテロ規範的な考えに従わないが、こういう人物とラベルづけするには厄介な人物となっているのである。そして、いつものように、規範に反するものや人は、文化を守る人たちからすぐに見放されてしまう。

『Pathaan』は映画として語るべきことはあまりないが、公開まで数週間を切った。しかしオレンジ色のビキニが引き起こした反発は、画面に20秒も映らなかったが、インドの現在の政治状況を覗き込めるよう導いてくれる。